雅楽
戦前の写真貼より
木彫彩色 御所人形 萬歳楽、太平楽
おぼこ 胡蝶
本行 久米舞
本行 大和舞、萬歳楽
本行 胡蝶
本行 蘭陵王
本行 萬歳楽
本行 太平楽
木彫彩色 太平楽
本行 還城楽
丸平文庫の雅楽の人形展示
五節舞姫 大嘗祭 七世大木平藏
五節舞は現存する唯一の雅楽における女舞です。
五節舞の起源は天武天皇が吉野において、琴を奏された時、御前に天女舞い降りて五度羽衣の袖を翻す舞を舞ったと伝えられています。
続日本書紀では、天平五年(743)五月五日、皇太子(阿部内親王―後の孝謙天皇、重祚して称徳天皇)親ら五節を舞たまう。とあります。
嵯峨天皇の御代には、舞姫は新嘗祭に四人、大嘗祭(天皇の即位式の年)に五人献進する事が定着しました。枕草子、源氏物語、紫式部日記、小右記、平家物語にも五節舞姫についての記述がみえます。五節舞姫を親しめる和歌は古今集の「五節の舞姫をみてよめる・天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」に尽きるかもしれません。作者は桓武天皇の孫、僧正遍昭(俗名 良岑宗貞)です。
南北朝になると新嘗祭の五節の舞の諸儀式は廃止され、大嘗祭にのみ残されたものの応仁乱等で五節舞は長く中絶され、再興されたのは、大正四年、即位の大嘗祭で昭和三年、平成二年、令和に至ります。
資料室の「五節舞」も参考にしてください。
五節舞姫 下絵
本行 五節舞姫
木彫彩色 御所人形 五節舞姫 昭和三年
木彫彩色 御所人形 萬歳楽、五節舞姫、太平楽
下絵 萬歳楽
木彫彩色 御所人形 萬歳楽 昭和三年 御大典 京都市記念品
下絵太平楽
木彫彩色 御所人形 太平楽
下絵太平楽
本行 萬歳楽、太平楽
木彫彩色 萬歳楽
木彫彩色 太平楽
雅楽舞台寸法 下絵
胡蝶、迦陵頻 下絵
おぼこ 童舞 胡蝶、迦陵頻 五世
おぼこ 童舞 胡蝶
雅楽における童舞、迦陵頻(左舞ー唐楽 装束赤系)と胡蝶(右舞ー高麗楽 装束青系ー現代における緑)
蘭陵王下絵
本行蘭陵王 七世大木平藏